曾祖父の見た空、大叔父の見た天。

今日の読売新聞の一面記事になかにし礼氏の満州引き揚げの経験談が載っていた。

ふと祖母も引揚者だったよねという話を母とした。

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うん。大叔母が、両親のいない中必死で逃げたんだよ。

叔父の一人は赤ん坊だったから、簡単に死んじゃって、松の木の下に埋めたんだと。

でも場所が分からない。ずっと大叔母は後悔していたようだ。

 

どこだったのだろう?と思う。

大叔母が亡くなってもう10年以上たつので話は聞くことができない。

祖母の記憶も大分紛失してしまった。

 

最近、叔父のことを介護しないとキレているののはここに原点があるような気がする。

うちの一族は大叔母が全てだった。

満州で曾祖父が満州鉄道の事故で死に、戦争で敗戦し、すべてを失った。

軍属だった親類は、新京で軍属用の集まりに行って、シベリア抑留者となりシベリアで亡くなったと聞いている。

中国や朝鮮の人々が一日で豹変し、襲い掛かってくる、幼女だった祖母も、頭を剃って少年のふりをして逃げたそうです。

 

日本に命からがら帰ってくると家は他人が乗っ取っていた。

ワンミスで人が簡単に死ぬ。そんな状況を見てきたのである。

 

他方で祖父は近衛師団で東京空襲を経験している。多くは語らなかったがやはり遺体を多く見たと聞いている。戦争が原因で兄とは生き別れになり、戦後しばらくたってから再開したと聞き及んでいる。

 

うちの一族は何もかも失った状態から始まったのです。

 

大叔母は土方の仕事をしながら、資格を取り、幼稚園の園長になった。

大叔母はヨイトマケの歌の人なんだよと。


Yoitomake No Uta - Akihiro Miwa / ヨイトマケの唄 - 美輪 明宏 (1964)

 

そこから生きている叔父たちは全員東大に入った。

多くが弁護士になった。

彼らが生前言っていたのは、本気になって血の小便がでるまでやれば大抵のことはできる。(僕は血の小便が出るまで勉強しましたが、海外の公認会計士はむりでした(笑))

 

だから大事なのは一族の規律であり、思いやりであると教え込まされてきたのです。

これは私の価値観の原点で、わが一族の価値観です。

正直、ほかの一族がどのような価値観を持とうとかまわない。

それを反するような行為が許せないのだろうと。だから叔父たちが許せないのです。

血って怖いですね。

 

ふと思うのは曾祖父が最後に見た空の青を、大叔父の死ぬ前に見たであろう空の青を見たいと思う。